ブログ 男鹿本山赤神神社

五社堂(なまはげ伝説発祥地)に五輪聖火がやってくる!②

3月22日、今年度2度目の赤神神社(秋田県男鹿市)環境整備作業当日、朝から雨模様です。
間もなく雲はいなくなるとの天気予報なので待機がてら、赤神神社の縁起についてミニ勉強会を開催しました。
現在に縁起を伝える巻物は1681年にしたためられたものだそうで、豪華な装飾がほどこされた実物をテキストにした元山高道宮司の解説が往時を想像させます。
気づくと空が落ち着いていました。

さて、いよいよ石段の修復です。
鬼が築いた石段の穴埋めを人が試みます。

行き来する参詣客からの声援に力を振り絞るも、たったの一段に一苦労。
建設の専門家が主力を担う精鋭をもってしても、鬼の一夜の仕業に遠く及びません。
人知を尽くして作戦を練り上げるとします。

今回の作業で印象に残ったのは参詣客から自然にこぼれる「ありがとう」の言葉です。
神社の手入れをご自分のこととしてよろこんでいらっしゃる様子でした。
何百年も続く歴史の一部に関わらせてもらっているとおもうと感慨深いものがあります。

【たま】


【東京2020オリンピック聖火リレー(特殊区間)】
・日 程:2020年6月10日(水)
・場 所:赤神神社/姿見の井戸-五社堂(秋田県男鹿市船川港門前)


※姿見の井戸・・・すがたみのいど。五社堂のすぐ下にある古い井戸で、井戸の中を覗き込んで自分の顔がはっきり映るとその年は健康で、はっきり映らないときは災難や不幸にあい、まったく映らないときは命が長くないという言い伝えが残る井戸。


※赤神神社五社堂・・・あかがみじんじゃごしゃどう。なまはげ伝説発祥の地。鬼が一晩で積んだとされる999段の石段、1000段完成目前をアマノジャクに邪魔され怒り狂い突き刺したとされる「逆さ杉」など数々の伝説が残る。

五棟の社殿は平成2年3月19日に国指定重要文化財(建造物)に指定され、向かって右から「三の宮堂」「客人(まろうど)権現堂」「赤神権現堂(中央堂)」「八王子堂」「十禅師堂」と呼称されている。

五社堂は赤神神社の本縁とされており、建保四年(1216)別当円転が霊夢に感じて鎌倉の右大臣源実朝公に請願、円転に命じて叡山山麓の山王上七社を勧請したもので二社廃れたので五社に配祀されたとされる

現存の五棟の社殿は宝永七年(1710年)に秋田藩主佐竹佐竹義格(よしさだ)公の命令で造営されたもので向拝・屋根・柱・組み物などに珍しい工夫がみられる。平成10年10月1日から3年かけて大規模な補修作業を行い現在に至る。

中央・赤神権現堂内にある内厨子(ないずし)は室町時代後期の作で昭和42年(1967年)6月15日に国指定重要文化財(建造物)に指定されている。


※「なまはげ伝説」・・・昔、漢の武帝が白い鹿のひく飛車に乗り、五色の蝙蝠に姿を変えた五匹の鬼たちを連れて男鹿半島にやってきました。

ある日のこと、休みなく働かされていた鬼たちは漢の武帝に休みを願いでます。よく働く鬼たちだったので正月の十五日だけ自由が許されました。一日だけの休みを許された鬼たちは村里へ下り、畑を荒らし、若い娘をさらっては乱暴を繰り返すようになりました。
それに困った村人たちは鬼たちに懇願します。「村から五社堂まで夜明けの一番鶏が鳴くまでに千段の石段をつくってほしい。そうすれば毎年娘をひとりずつ差し出そう。そのかわりできなかったら二度と村には下りてこないでほしい」と。

鬼たちは日暮れとともに石を積みはじめます。ものすごい早さで石を積み上げて行き、とうとう最後の一段……という時にその様子を見ていたアマノジャクが夜明けを告げる鶏の鳴き声を真似、「コケコッコー」と告げました。

夜明けがきたと驚いた鬼たちは、あまりの悔しさと怒りで目の前にあった千年杉を引っこ抜き、逆さまにして大地にぐさりと突き刺して山に帰っていきました。それから鬼たちがふたたび村に下りてくることはありませんでした。

※鬼たちが逆さまに突き刺した千年杉はしばらく逆さまに生えていましたが今では枯れてしまい、五社堂境内の社務所に保存されています。

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